前にも書いたよーな気がしますが本日は興奮していますのでネタがかぶってよーが関係ないんです。
バイクの免許を取ってハスラー50→ガンマ50とスズキのバイクに乗り始め中免とって250ガンマと着実にスズキに染まっていってる中
Wgpをテレビで見るようになってから丁度スズキの活躍はなく優勝するのはヤマハのYZRのローソンやホンダNSRのスペンサーやガードナーでスズキのバイクなんてテレビに映ることもなくなってた。
1984のバリーシーンの年間6位。
1983のマモラの年間3位。
年間チャンピオンは1982のウンチーニ、1981のルッキネリ、1977のバリーシーン。
とワタクシがWgpを見るようになる前はスズキも優勝やチャンピオンになってたので
YZRやNSRが活躍するwgpは見てはいたけどしっくりきていなかった。
いつになったらスズキがレースで勝つのかそればっかりが頭の中にあった。
こんなことを今でも覚えているくらいだから当時はやはり相当だったんだろうと思う。
そんなこんなで迎えた1988年3月27日鈴鹿。
テレビで見てたくらいしか知識なんてないから、スズキのマシンもライダーも知らない。
そこでトップに立ったペプシカラーのガンマにくぎ付けになった。
アグレッシブな走りも十代のワタクシには興奮しかなかった。
こけないでこのまま。お願いだからチェッカー受けてくれ。
今でもあの興奮は忘れない。
感受性が豊かになって涙もろくなってる40代のオッサンとは違い
なんでも斜に構え感情なんか世間や大人への反抗しかなかったワタクシから涙がこぼれた。
1人ブラウン管の前で涙した。
そう、ワタクシのヒーローはシュワンツしかいない。
Kevin Schwantz' First AMA Superbike Win - Willow Springs 1985
gsxr750に乗っていたのは知っていた。
その前にヨシムラからgs700esでAMA superbikeに出場していたのを後から知った。バーハンにバックステップ。
そう若い時に何かの雑誌で知ったAMA superbike。
superbikeを知った時はウエスクーリー・ローソン。スペンサー。
スズキはカタナとかも走っていたみたいだけどカタナは既にセパハン。
その後のレイニーとgsxrのシュワンツ。
ヒーローのシュワンツはセパハンのgsxrしか知らなかった。
その後しばらくおそらくネット社会になるまでの間シュワンツがバーハンのgs700esに乗っていたのを知らなかった。
あっ!バーハンじゃないかな?
まだメットがクーリー(その後同じバイクでヨシムラカラーみたい)。
このネット社会に動画がアップされていなかったのに、二か月前にアップしてくれた人がいたようで今日(20190326)知った。
めちゃめちゃ興奮してる。
gs700es。どうも国内で1人、もしかしたらもう少しいるのかもしれないけど某オークションでも普通の中古サイトでも見たことない。
アメリカでと思ってもどうもアメリカでもマイナー車なのかタマはない。
でも、あれば安いはずだから金掛けても引っ張ってきたいなって興奮してる(現実問題いくらかかるかがキモですけど)。
外装とフレームがあればいい。
足やエンジンは他車のを流用でコレ乗りたい。興奮してる。
でも、あんまりにも現実的じゃないからGR71の青白でもいいのかなって妥協しちゃいそう(買う前提w) 。
HRCからの部品供給が滞り、総一郎に直談判するも変わることなく・・・
返信削除usヨシムラに騙され、それでも奮闘するも火事発生・・・
諦めかけたヨシムラに「もう一度!」とGSを与えた、男の中の男、スズキ横内悦夫。
1957年スズキ入社。T20、T500、GTシリーズなどの2サイクル車を開発した後、1974~75年はレース部門に在籍。1976年1月からGSシリーズの開発に加わり、750/400の海外テストに参加。以後GS1000を開発、さらにGSXll00S、RG-「、GSX-Rシリーズ、イントルーターなど次々と生み出した男。1996年4月退職。
情に厚い男たちが宿るSUZUKIも男のバイクだと思う。
E4=シュワンツ
失礼しました^^
匿名さん
削除熱いコメントありがとうございます!!
横内氏がいなかったら今のスズキはないですね!!
女の子の耳元で『ください♡』って言うの今年の目標です。こういう昔話時折入れてください!!
返信削除hideto81さん
削除目標達成出来ること祈ってます!!