2019年10月17日木曜日

知覧・広島 ⑥ 終わり

気が付けば家で晩酌をするようになって2か月が過ぎていた。

元々酒がなくても生活に支障はなかった俺がほぼ毎晩酒を飲んでいる。

酒の味を誤魔化さないと飲めないので必然的に口にものを運ぶことになる。

ただ少し気にして炭水化物を取らないようにはしている

それでも腹が膨れたまま酔って寝てしまうので

かなりおなか周りが立派になってきているが

それを異性に見せる場面もないと思うと

酒を控えるよりはひと時でも嫌なことは忘れていたい。

2時間もすると尿意で起きることになるが

今度は炭水化物を取らなかったから空腹が襲ってくる

そこで食べるので体重増加に歯止めはかからない


もうすでに習慣になっているからこの生活をやめるときは難儀するだろう。。。


5時起床

旅に出ると早起きなるのは何故なのか?

前日も大して睡眠を取っていないのに。。。

いつもそうだ。

さて、今日はどんなスケジュールで行動するか

昨晩は全く違うことを調べていたスマホで経路を調べる。

このホテルから広島原爆資料館までは212キロ 2時間41分

広島原爆資料館は8時半 開館

支度と休憩などの時間を考えるともう出発しても平気なようだ。

広島から自宅までは795キロ 10時間13分

このホテルから自宅まで13時間。

6時に出たとしても余裕で今日中に帰宅できる。

当初は神戸周辺で宿泊する予定だったが

かなり早く起きてしまって出発も早まったので

神戸に宿泊する必要もなくなったようだ。

もともと神戸辺りに用事はないのだから余計だ。
 
チェックアウトを済ませ

この旅用にヤフオクで買ったリアキャリアに荷物をくくる。

同じくタンクバックもこの旅用に購入したやつだ。



ダサいって理由でつけてこなかったナビで使うスマホホルダーもこの旅用。

ダサい。重要な要素ではあるが利便性が優先するような年になってしまったということか。

ガソリンスタンドで心が満タンになることはないがレギュラーガソリンでガソリンタンクは満タンだ。

そう、このバイクを選んだ理由の一つにレギュラーガソリン使用だったということもある。

ハイオクを入れたほうが良いのかもしれないがメーカーがレギュラーでいいって言ってるのだから何の問題もないだろう。

夏も終わった早朝は身体を目覚めるにはちょうどいい気温だ。

すっかり冬装備の格好でひたすら広島へ向かうことになる。





九州と本州を隔てる関門海峡を越える瞬間はあのブログを思い出していた。

私の場合は九州から本州へ

曇天でイマイチ盛り上がぎにかけてはいたがそれでも何かこの橋を渡るときには気持ちが高揚押していた。



急いでカメラの電源を入れてシャッターを切る。

それはあっという間だった。

直ぐに橋を越え本州へ入る。

こんなに短いとは想像もしていなかった。

逆の本州から九州へ入るほうが気持ちの高ぶりはあるのだろか


現場に行くであろう車が結構走っていたことに驚いた

美東SAでは職人風の二人組の会話が耳に入ってきた

人と話すことがなかったので気づかなかったが

標準語ではない話し言葉を聞くと遠くに来ている実感がわいた。

休憩で寄るSA・PAで飲む飲料が迷うことなくホットを選択してることでも季節の変動を気づかされる。




ここのガソリンスタンドで初めて話しかけられた。
「横浜帰るん?8時間くらいかかるじゃろ?気を付けてや」




広島への距離が短くなるにつれ晴れ間も見えるようになっていた。

最寄りの五日市IC。

ついにここまで来たか。



しかし高速を降りると渋滞が待っていた。

月曜の8時半。まだまだ通勤時間である。






山や高台を超えナビが距離を縮めていくたびに

広島県産業奨励館(原爆ドーム)が見えてくるのではないか

と思っていたがこの資料館についても産業奨励館は見えてこなかった。
まだ朝の9時だというのに来館者が多い。

それも殆どは外国人だった。

来館した外国人は何を思うのか?

来館者の外国人女性は鼻をすすっていた・・・


もはや実験でしかなかった原爆投下。

民間人を狙った攻撃。


この太平洋戦争の写真や映像を見るたびに

何も考えずアメリカ製品を持ってたり使ってたすることに違和感を覚える。


太平洋戦争での日本人の死者数は310万人となっている。

その一人一人に両親や兄弟・親戚・友人・知人が居て生活があり

一人一人の死を悲しんでいる人たちがいるということ。

生きて帰ってきても堂々としていられなかったりしていたようだし

今、もし同じことが起きたら・・・



この先の写真を撮ることは控えた。
ここでも特に見たことのない写真はなかった。

8/6日以降も何年も肉体的にも精神的にも苦しめられた方々。

繰り返すが

原爆でも多くの人々とその家族が苦しむことになった現実。


縄文時代や戦国時代・江戸時代などの遠い昔の話ではなく

74年前の出来事。

戦時中の人達が現代をみたらどう思うのか?

もう戦争体験者はかなり高齢で実際に話を聞いたことがあるわけではない。

母親がb29が飛んで行ったとか

戦後はサツマイモしか食べるものがなくて本当に嫌だったと言っていた。


先日の台風19号で備蓄用に買ったカップ麺を2食食べたが3食目は手が伸びなかった。

普通でいられることを感謝して生きていかなけらないと強く思う。。。



今更ながら、店舗型の1号営業や2号営業店があったのではと検索してみた。







時間もあったのに無店舗型の1号営業のことしか頭になかった。
このブログを書きながら非常に後悔してきている。




 なぜなら

知覧特攻平和記念館と広島原爆資料館が目的だった

この旅の本当の目的は

広島弁とチョメチョメする旅だったからだ。
(フィクション)










道中寄るところも特にないため

自宅バックを急ぐ。

東映スター勢ぞろいだ。全員仁義なき出演者。

このCM 1990年らしいので一人々の当時の年齢を計算してみた。

山城新伍  52歳
梅宮辰夫  52歳
千葉真一  51歳
松方弘樹  48歳
北王子欣也 47歳

どうだろ?

まず驚いたのが松方弘樹と梅宮辰夫がタメ(同じ年)じゃなかったこと??



より

当時「元気が出るテレビ」で人気だった松方弘樹の年齢である。





嘘だろ!!





天気予報は途中が雨。


草津第二PA
この後、新名神の鈴鹿で合羽を着るか気ないか悩んでいるようだった

赤いロケットカウルのZ400FXは伊勢湾岸で豪雨の中走っていた。


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