2019年の10月に鹿児島の知覧に行っていた。
その時は知覧に行きたくて準備して神戸からフェリーで宮崎
宮崎から鹿児島の知覧に行って北上しつつ広島入りを考えたが疲れて危険な気がしたので
北九州で一泊し良くる日広島の原爆記念館に寄って帰宅。
なかなかハードな工程だった。
それが今からもう7年も前。その時には知っていたか知らなかったか全く記憶がないが
帰りの道中にあるという事は当時は知らなかった可能性が高い。
いつか必ず行こうと何度もグーグルマップで検索し
車orバイクだと最寄りの駅まで10時間半以上、
電車で行っても4時間半で切符代は片道2万。
今回訪問した大津島以外にはその他に特に用事もない。
しかも島からの船便の戻りが最終17:40。
島内を回ると多く見積もって2時間。
逆算すると余裕をみて14時頃には大津島に上陸したいところ。
という事は船の時刻表と照らし合わせると13:10徳山港発。
駅から港までは近いから徳山駅に12:45頃着。
自宅を出るのは8:00頃でばっちり通勤時間とかぶる。
朝出れば日帰りも可能だがせっかく遠くまで行くのになんだかそれも味気ない。
一方、車orバイクの場合870キロ。
逆方面の東北方向だと青森越えて函館の手前の距離感。
デカいツアラーならいけるがセローじゃワタクシの体力では無理だ。
刻んで行くにしても長距離の高速を250のオフ車で走ることを考えるだけで憂鬱になる。
そういうわけで公共交通機関にせよ自家用車にせよ
時間も費用もかかるため数年間踏ん切りがつかないままだった。
あ、飛行機は?と調べたらこれがまた山口宇部空港から徳山駅までが2時間程。
羽田まで行って飛行機乗って1時間40分のフライト+2時間の電車。
直前なので航空チケットは3万ほど。
なので飛行機である必要はない。
アーレーは?1個は遅い。もう1個は首に負担がかかって手がしびれて長距離は不可能。
ったくなんのために多頭飼いしてるのか自分でもわけがわからない。
増車??
現実的にただの浪費になるだけだ。控えないといけない。
行程を練ってせっかく遠くまで行くなら徳山ラーメンを食べてみようと
ラーメン屋のやってる14時ころまでに徳山駅に着いて
徳山ラーメン食べてホテルにチェックインして
翌朝船で大津島入りし島を回ったら帰路。
このように決めてもやはり費用がネックで決定には至らないままだった。
13:43 徳山駅北口
想像していたより駅ビルがキレイでびっくりした。
35だか36℃あってクソ暑い。
13:46 第二スター
徳山駅周辺に第一スターから第三スターまで店舗があるみたいで
第三スターは最近閉店したみたいで第一は口コミあんまり良くなくて第二スターへ
スマートフォンで地図アプリを開きながらココに歩いて向かっていたが
まったく人通りがないし、遠目で「あれ?やってなくね?」って雰囲気で焦った。
正直暑くてラーメンなんて食べる気分ではなかったが
何のためにこの時間にここに来たのか
事前の調査で他に候補もないからココが開いてなかったら飯難民だった。
店の扉をあけると先客の常連らしきおっさんが
ワタクシより15くらい年上とみえるお店のお姉さんと談笑してた。
暑すぎて、出されたコップの水を一気飲み。
もう店員のお姉さんにいちいち「水くださーい」とか声かけてるのも待ってられないから
自分で給水機のところに行って声かけて二杯目飲んで三杯目を次いでまた着席
注文して2分ぐらいで着丼。早くて良いね。
油面も低くサッパリとし麺が九州系の細ストレート。麺の写真はない。
毎日でも食べられそうな感じ。
毎日食べないけど。
駅前商店街のアーケードはシャッターだらけで
これは裏の方なんだけど昔はこの辺に飲み屋とかあったんだろうか??
第二目的地の寿美屋にて「アレ」購入。
時間も良いころなんで宿へ向かいます。
14:23 徳山駅南口
ホテルサンルート徳山にチェックイン
回天2個と三五庵
三五庵はなんだかわからないまま購入。
開封すると袋に入った餡子があって自分で作るタイプの最中でした。
部屋から、夕日が綺麗。
一応、良いフンイキの銭湯もリサーチ済みでタオルも持参してきたけど
こうも暑くちゃ帰りにまた汗だくになりそうだったんで却下。
全然腹減ってないけど昼間と一緒でせっかくココまで来てるから
保存してある店(北京飯店)へ夕飯を食べに
直ぐ近くの港から。
横浜の方じゃ港に入って入れるところなくなっちゃったから
こんな感じのところにバイクで来れたらいいんだけど
シーメンズクラブ
ここがやってたらなー
調べたら2013年のマップでもやってない
目指す北京飯店はもうすぐ
この時も歩きながらなんだか店がやってなさそーな感じで案の定。
グーグルマップもあてにならない。
さて、飯難民。
事前に調べて店が少ないことは知っていたが諦めきれずスマホで
「この土地ならではの店」を探して歩き回った。
しかし、暑さと疲れで次第にどうでもよくなり
「もうマックでいいか」と思ったものの
そのマックすら駅前にはない。
本当に店がない。
店がないということは、駅を利用する人がそれだけ少ないということなのだろう。
やはりここも他地方と同様、郊外のロードサイドやショッピングモールに人が流れ
駅前が衰退してしまっているのだと肌で実感した。
結局、ホテルの目の前のセブン。
ひとつ気になったのがホテルの目の前に運転手の居るワゴンRがずっと停まってた事。
もしかして、配達(デリバリー)の方だったのでしょうか??
暑いから待合室みたいなところで待ってたら
30分前から乗船可能なことを見つけて慌てて乗船へ
出来たらバイクで来てフェリーに乗せてついでに島を回ってみたかった。
チケットは乗船後回収。
見える範囲の客で二人ほど定期のようなものを乗組員に見せていた。
船で通勤をするのか。
ワタクシ含め6人ぐらいが下船して回天記念館へ向かっていった。
内2人は定期のようなものを見せていた人だから2人は記念館で働いている人なのだろう
他の4人が回天記念館の客のようだ。
島が近づくにつれ回天の訓練基地跡が見えるものだと思ってたら一切見えず
船から見えた建物が記念館だと思ってたらそうではなく更に進むらしい。
たしかに調べた時に徒歩10分ぐらいとなっていた。
なんとなくこっちの方に訓練基地あるのではと土手を登ったら
おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
はやる気持ちをおさえて記念館へ向かう。
それにしても暑い。
この大津島では1944年9月5日から1945年8月15日という事らしい。
今ほど暑くはないだろうが当時も暑い中この地で訓練を行っていたことを思うと
暑いとか言ってられない気がしてくる。
この山を15~20分ほど登ると魚雷見張所跡がある。
基地の跡。学校になってたようだがその学校も2016年には休校になった。
道中はこの施設が見えないようになのか高めのコンクリートの塀がずっと続いてた
大津島回天碑及び回転記念館沿革
通路の左右には回天にかかわって亡くなった方145名の烈士碑がある。
出身地と氏名。
回天碑
他にも森繁久彌の歌を刻んだ石碑と長嶋茂雄の石碑もあるようで。
今知った。
現地で他に石碑があったのは見たんですがまさか著名人の石碑とは知らず。
こんなものに一人乗船してたと思うと言葉がみつかりません。
説明を要約すると
倉庫に眠っていた九三式酸素魚雷を人が乗れるように改造
19年2月に試作機の製造がはじまり同年7月に3機完成。
元々魚雷だったので操作が煩雑で難しく停止後退も出来ない。
訓練では事故が多発して15名の殉職者を出していて
最終的には約420機が製造された。とあります。
戦争が長引いていたらもっと多くの犠牲者が出ていたと想像するのは容易です。
回天以外にも特別攻撃兵器はあり
航空機に爆弾を積んでで敵艦に突っ込んでいった神風特別攻撃隊や
ミサイルに羽をつけた人間爆弾の「桜花」
ベニヤで作ったボートの水上特攻の「震洋」
潜水服をきて5メートルの棒の先に爆弾を付けた人間機雷「伏龍」などなど
ありますが気になって調べるとどれも恐ろしい。
戦闘で亡くなるならまだしも、飢餓や病気、訓練中の事故で亡くなられた方は無念でしょう。
回天のエンジンが外にあります。
説明読んでもいまいち理解できず
こちらは古いタイプの魚雷のエンジン
さて、入館料を払っていざ入館。
入ってすぐ右の映写室では記録映像がボタンを押すと流れるようになってまして
ワタクシが入ったら先客が居て放映していました。
冷房がガンガンに聴いていたので記録ビデオを見ながら身体を冷やします。
その部屋には元搭乗員の方の水墨画が展示されています
艦が出向していくところだろうか
潜水艦の上に回天が載せられている
きっと回天を載せてレールの上を訓練基地まで運んでいるんだろう
そしてこの方、毛利勝郎氏なしにはこの記念館はできなかったそうです。
基地で回天の整備・調整に携わり、出撃を控えた若い搭乗員(特攻隊員)
たちと直接触れ合い、親しく言葉を交わす間柄で
戦後、多くの搭乗員が若くして命を落とした事実が忘れ去られていくこと、
そして遺品が散逸してしまうことに危機感を抱いて
自費で全国の遺族のもとを一件一件訪ね歩き、隊員たちが残した遺書、手紙、写真、遺品などを根気強く収集し続けました。
毛利さんが個人で集めた膨大なコレクションが基礎となり、
昭和43年(1968年)、大津島の宿舎跡地に周南市回天記念館が完成
普通、戦後23年の間こんなことできません。
人を動かすほどの出来事だったと。
海老蔵が主演で映画も作られているようなのを知ってはいますが
ワタクシあまり海老蔵が得意ではないのでまだ観てません
海老蔵仕様になっていて本物より少し高くなっているそうですがそれでも狭い
戦局が悪化したある日、突然「60人分のすき焼き」を依頼されました。
物資が全くない時代でしたが、お重さんは近所にコンロを借りに行き、
テーブルの代わりに雨戸を並べて見事にすき焼きを準備し、
隊員たちをお腹いっぱいにして送り出しました。
この壮行会の7か月後の11月7日若い士官12名の会合があって
それが一回目の特攻前だったの
知ったのはだいぶ後の事だったそう。
館内は遺書や手紙が多く、それらは撮影禁止の為。ほぼ写真は無い。
山の魚雷見張所跡まで20分。往復40分。
ワタクシの体力だと50分から60分はかかりそう。
今思うと行けばよかったと後悔するが当時の気温が行かないことを選択した。
回天運搬用のトンネルを通って回天の訓練基地跡へ
フナムシの数が尋常じゃなく他のなんでもない場所なら絶対にトンネルには入りたくない。
横にトンネルが開いている
空襲警報時に洋上に出ている訓練支援艦に手旗信号で
空襲警報を伝えるために使われて指揮所
ちょっと出てみて訓練基地跡
一匹なら何ともない
この二か所の竪穴は回天ではなく魚雷の発射口
こんなに穏やかできれいな海で82年前に回天の訓練などが
行われていたとは想像も出来ない。
口になにか加えてたんだけど上手く撮れなかった。
乗船時間まで1時間くらいあるけど待合室でゆっくり待つ
孫3人なのか孫とその友達なのかおばあちゃんと小学校2年か3年ぐらいの子供の内
ひとりが泣きながら不貞腐れて怒って待合室の扉をバタンと勢いよく閉めて
勢いがいいから反動で少し開いて熱風が室内に入ってきたり
おばあちゃんに強くモノを言ったりしてたから
ちょっとイラっとしたけど
「まー自分の思い通りに行かなくてそーゆーことになることもあるよな」と
残念なのはこの島は1日1組限定の高級な宿泊施設しかなかったこと
普通の民宿があったら島で前泊すればきっとご飯は新鮮な魚を使ったものだっただろうし
宿の方と少しは話もできてもっと充実しただろうな。
ワタクシが宿やりますか?
どなたか来てくれますか?
遠くて足が向かなかった大津島の回天記念館も行けて良かった。