2019年10月23日水曜日

西伊豆スカイラインへ


小田厚でkawasakiの1000mk2だか750fxだかわからないけど四角いz(男性)と

こちらもz1 z2(女性)だかわからないけどゼファーだかも良くわからないけどね。

カップルで走ってるライダー居たな。

あこがれる。

どっちもカッコよかった。

なので今とっても70s 80sが気になります。

空冷4発ってやつ。



油冷で十分だろ!!



あの時代のカワサキ車のカッコよさったら間違いがなさすぎる。。


乗らないけど。



この日は不規則な生活リズムがたたって出発予定時刻に目が覚めた。

なんか眠くて仕方ないし当初の予定目的地は中止にして二度寝した。

ツーリングっていうツーリングしたことなくて

箱根も数えるほどしか来たことないし

今だにどことどこがドーつながってるのかわかってない。

伊豆スカイラインもどこ走ってるのかさっぱり。

昔っから峠や山や海へは行かずもっぱら街中ばっかり。

だからすり抜けてる時が一番楽しいのかもしれない。





1000ミリの雨が降ったのにターンパイクが通れるのが不思議だ。




DRも落ち着いてきたので中津川林道にリベンジしに行きたいのだが

19号の被害が林道良く手前の県道が崩落で通行止め

復旧の目処も立っていないようだ。

遠くて中々行けないからあの時行っといて良かった。

神奈川から行けそうな所は何処の林道も同じような状況だろう。

このまま当分林道へ行けないとなると。。。

嫌な予感がしてきた。。。





おおおおおおおお!!
ここは!白銀林道との立体交差地点!!


白銀林道もおそらくダメなんだろうな。。。




高架になってる所が白銀林道。
すぐそこに車一台分の駐車スペースあって止まるか迷ったけど素通り。

今度からは気になったらいったん停車して写真撮りまくろう。

それか動画で垂れ流してたほうが楽なのかな?

過去何度か超簡単に動画編集したけど

それでも編集作業が嫌で動画からは遠ざかっていた

今は動画が主流だからな。。。





景観の撮り方ってのがあるんだろうな。
ワタクシの写真じゃこれっぽっちも伝わらない。






途中に三島スカイウォークがあって混雑してた。
車なきゃ行けないもんな。

誰と?

何に乗って?

大人ぶって気にしないふりしてた。。。。




いちいち小銭出すのめんどくさい。
ちょこちょこ160円とかキリの悪い金額を取るのもやめてほしい。


手前で止まってお金出すか料金所で止まってからお金出すか迷う。


 バイクなんてタダでいいだろ。











所々がけ崩れで片側一車線になってた。
ここまの道中も道路に落ちた葉っぱが湿った状態で車に踏み重ね慣れて

非常にデリケートな運転をしいられた。


いわばデリケートゾーン。




戸田には行けない



絶賛曇天中!!
若干下っているので1速に入れて停車させてたのに写真を撮り終えて何故かクラッチを握ってしまい危うく立ちコケしかけた。



重たい車体が嫌いになった瞬間だった。



景観の良いところは晴れの日に来たいものだ。
奥に富士山があるはずなのに・・・






このまま海まで抜けて途中から伊豆半島海沿いに行っちゃいたい気持ちもあったけど通行止めみたいなんで県道59号へ降りた。
切り口が真新しいところを見ると先の19号で倒木したやつだろう。。






轍の真ん中はうっすら苔があって非常に怖い。。
DRで行った道志の林道で苔にのってフロント取られて

側溝超えて山につっこんんだ記憶がトラウマになっててものすげー怖い。

あの時は車体の軽いDRだったから

どうにか転倒は免れたもののGSFでフロント滑ったら確実にコケる。

こんなとこでコケてしまったら。。。



ここもデリケートゾーン。
台風の風で落ちた葉っぱと濡れた路面




泥もまだまだ残ってる。




この後、路上でクネクネしてる物体(ヘビ)が居たので

「絶好のネタじゃないか!」

と足元悪い下りで止まるまでに神経を使いながら

このタイミングで対抗バイクが来てアワアワしながら

中々カメラのスイッチを押せない間に行ってしまった。





ローソン!!
いつかも書いたかもしれないがグルメといわれるものににあまり興味がないから

一人だと「どこそこ行ってアレ食べよう」とか「その土地の名物食べようとか」

って気持ちにならない。

連れが居れば違うんだけど。。。







このハーレーがコーナーで後ろにぴったりくっついてきてウザかった。
わざわざミラーに入ってきてその距離につくかぁ??

抜かないんだったらもう少し車間開けて欲しいもんだ。

ワタクシが焦ってコケたらどーするつもりだったのか。

コーナーが怖いからそーゆーことするの本当にやめてほしい。

 「魂」とか「絆」とか車体にはたくさんの訳の分からないアクセサリーも。。。

人が何してようが気にならないほうだけど

煽られたのと相まって若干イラっとして

この後煽ろうかと思った。



追いかける状態なら余裕で後ろにつけられる。



追われるより追いかけたい派?




知らんけど!!





あの日は晴れてた。。。
富士山もばっちりチリ足で見えてた。。。

帰るのが惜しくてわざと遠回りして椿ラインあがってきたなぁ。






帰りも!!白銀林道との立体交差!!





この日までずっと小田厚とターンパイクってつながってると勘違いしてた。
西湘とはつながってるのね。



近場はどこへ行っても。。。

どこか行ったことのない土地に行きたいなぁ。。。

2019年10月21日月曜日

川の様子を見に行く。

赤いFXを見送った後は雨の中トラックだらけの真っ暗な新東名を走る。

東名に比べて山側を走る新東名はトンネルが多くてこの日のような天候だとトンネルが待ち遠しい。

ウエットな部分が少ない路面と明るいトンネル内、そしてなにより寒くない。

出来ることならこのままトンネルだけをずっと走りたくなる。

朝の6時前から走り続けてすでに何時間だろう。。。



んんんーーー。

続かないからやめよ。


どうしても新しいのを可愛がりがちでエンジン掛けることもしてなかったDRで出動。

台風19号で林道もダメなところバッカリなようなのでいつものコースでいつもの所に行ってみることにした。


ぬっぉぉぉぉっぉぉぉ!! 
 速度超過!!!




すり抜けられるけど気疲れするから渋滞はイヤ。




水の色も茶色いままで水量も多いままだ。



この橋の下でBBQか?キャンプか?してた人いたけど怖くないのかな??
 ダム放流中注意!って出てたけど。。。






この右側のコンクリートの塊はどこからのが剥がれてきたのかな
この前逆から来たときは通行止めで

通してもらえなかった所だから結構土砂が道にあったんだろう



水の勢いが凄い



土砂が流れ込んできた跡も所々に




この日は若い人たちが多かった気がする




この橋何て泥だらけだったんだろうな。



えぐられてる


キレイな水に戻るのはいつなんだろう。。



完治したと思ったアイドリング不調がまた再発した。
ほんの少し前まで台風って言うとわざわざ車を出して

「うぉぉぉぉぉぉ!!!雨すげーーーー!!
 風もすげーーーーーーー!!!」

って

自然の猛威を感じていました。

15号の時だったか

鶴見川が気になってPCでライブカメラみてたけど

暗くて良くわからないから直接みに行こうと思って

玄関開けたら風が凄くて

「あっこんな時に夜中外に出て飛来物にでも
  当たって死んだりしたら笑われる」  

って思ったからやめときました。 


畑や田んぼがあるならまだしも

何にもなくただ気になって増水した川を見に行ってってアホすぎるから。

2019年10月17日木曜日

知覧・広島 ⑥ 終わり

気が付けば家で晩酌をするようになって2か月が過ぎていた。

元々酒がなくても生活に支障はなかった俺がほぼ毎晩酒を飲んでいる。

酒の味を誤魔化さないと飲めないので必然的に口にものを運ぶことになる。

ただ少し気にして炭水化物を取らないようにはしている

それでも腹が膨れたまま酔って寝てしまうので

かなりおなか周りが立派になってきているが

それを異性に見せる場面もないと思うと

酒を控えるよりはひと時でも嫌なことは忘れていたい。

2時間もすると尿意で起きることになるが

今度は炭水化物を取らなかったから空腹が襲ってくる

そこで食べるので体重増加に歯止めはかからない


もうすでに習慣になっているからこの生活をやめるときは難儀するだろう。。。


5時起床

旅に出ると早起きなるのは何故なのか?

前日も大して睡眠を取っていないのに。。。

いつもそうだ。

さて、今日はどんなスケジュールで行動するか

昨晩は全く違うことを調べていたスマホで経路を調べる。

このホテルから広島原爆資料館までは212キロ 2時間41分

広島原爆資料館は8時半 開館

支度と休憩などの時間を考えるともう出発しても平気なようだ。

広島から自宅までは795キロ 10時間13分

このホテルから自宅まで13時間。

6時に出たとしても余裕で今日中に帰宅できる。

当初は神戸周辺で宿泊する予定だったが

かなり早く起きてしまって出発も早まったので

神戸に宿泊する必要もなくなったようだ。

もともと神戸辺りに用事はないのだから余計だ。
 
チェックアウトを済ませ

この旅用にヤフオクで買ったリアキャリアに荷物をくくる。

同じくタンクバックもこの旅用に購入したやつだ。



ダサいって理由でつけてこなかったナビで使うスマホホルダーもこの旅用。

ダサい。重要な要素ではあるが利便性が優先するような年になってしまったということか。

ガソリンスタンドで心が満タンになることはないがレギュラーガソリンでガソリンタンクは満タンだ。

そう、このバイクを選んだ理由の一つにレギュラーガソリン使用だったということもある。

ハイオクを入れたほうが良いのかもしれないがメーカーがレギュラーでいいって言ってるのだから何の問題もないだろう。

夏も終わった早朝は身体を目覚めるにはちょうどいい気温だ。

すっかり冬装備の格好でひたすら広島へ向かうことになる。





九州と本州を隔てる関門海峡を越える瞬間はあのブログを思い出していた。

私の場合は九州から本州へ

曇天でイマイチ盛り上がぎにかけてはいたがそれでも何かこの橋を渡るときには気持ちが高揚押していた。



急いでカメラの電源を入れてシャッターを切る。

それはあっという間だった。

直ぐに橋を越え本州へ入る。

こんなに短いとは想像もしていなかった。

逆の本州から九州へ入るほうが気持ちの高ぶりはあるのだろか


現場に行くであろう車が結構走っていたことに驚いた

美東SAでは職人風の二人組の会話が耳に入ってきた

人と話すことがなかったので気づかなかったが

標準語ではない話し言葉を聞くと遠くに来ている実感がわいた。

休憩で寄るSA・PAで飲む飲料が迷うことなくホットを選択してることでも季節の変動を気づかされる。




ここのガソリンスタンドで初めて話しかけられた。
「横浜帰るん?8時間くらいかかるじゃろ?気を付けてや」




広島への距離が短くなるにつれ晴れ間も見えるようになっていた。

最寄りの五日市IC。

ついにここまで来たか。



しかし高速を降りると渋滞が待っていた。

月曜の8時半。まだまだ通勤時間である。






山や高台を超えナビが距離を縮めていくたびに

広島県産業奨励館(原爆ドーム)が見えてくるのではないか

と思っていたがこの資料館についても産業奨励館は見えてこなかった。
まだ朝の9時だというのに来館者が多い。

それも殆どは外国人だった。

来館した外国人は何を思うのか?

来館者の外国人女性は鼻をすすっていた・・・


もはや実験でしかなかった原爆投下。

民間人を狙った攻撃。


この太平洋戦争の写真や映像を見るたびに

何も考えずアメリカ製品を持ってたり使ってたすることに違和感を覚える。


太平洋戦争での日本人の死者数は310万人となっている。

その一人一人に両親や兄弟・親戚・友人・知人が居て生活があり

一人一人の死を悲しんでいる人たちがいるということ。

生きて帰ってきても堂々としていられなかったりしていたようだし

今、もし同じことが起きたら・・・



この先の写真を撮ることは控えた。
ここでも特に見たことのない写真はなかった。

8/6日以降も何年も肉体的にも精神的にも苦しめられた方々。

繰り返すが

原爆でも多くの人々とその家族が苦しむことになった現実。


縄文時代や戦国時代・江戸時代などの遠い昔の話ではなく

74年前の出来事。

戦時中の人達が現代をみたらどう思うのか?

もう戦争体験者はかなり高齢で実際に話を聞いたことがあるわけではない。

母親がb29が飛んで行ったとか

戦後はサツマイモしか食べるものがなくて本当に嫌だったと言っていた。


先日の台風19号で備蓄用に買ったカップ麺を2食食べたが3食目は手が伸びなかった。

普通でいられることを感謝して生きていかなけらないと強く思う。。。



今更ながら、店舗型の1号営業や2号営業店があったのではと検索してみた。







時間もあったのに無店舗型の1号営業のことしか頭になかった。
このブログを書きながら非常に後悔してきている。




 なぜなら

知覧特攻平和記念館と広島原爆資料館が目的だった

この旅の本当の目的は

広島弁とチョメチョメする旅だったからだ。
(フィクション)










道中寄るところも特にないため

自宅バックを急ぐ。

東映スター勢ぞろいだ。全員仁義なき出演者。

このCM 1990年らしいので一人々の当時の年齢を計算してみた。

山城新伍  52歳
梅宮辰夫  52歳
千葉真一  51歳
松方弘樹  48歳
北王子欣也 47歳

どうだろ?

まず驚いたのが松方弘樹と梅宮辰夫がタメ(同じ年)じゃなかったこと??



より

当時「元気が出るテレビ」で人気だった松方弘樹の年齢である。





嘘だろ!!





天気予報は途中が雨。


草津第二PA
この後、新名神の鈴鹿で合羽を着るか気ないか悩んでいるようだった

赤いロケットカウルのZ400FXは伊勢湾岸で豪雨の中走っていた。